なぜインターネットで悪口を言ってしまうのか

こんにちは。一か月ブログを放置していたらはてなブログから書いてないじゃんってメールが来てしまいました。めっちゃ厳しい。
特に何も書くことがない日々を繰り返しているのでブログには特に何も書いていませんが、ツイッターでは毎日もうこれ読んでる人どういう気持ちになると思う?みたいなどうでもいいことを書き続けていて本当に最悪なんですよ。
誰かに何かを伝えたいわけでもないのに誰かが見ているであろう可能性のある場所であえて話してる上に悪口の確率高いんですよ。こないだ君の名はについて性欲って何ですかみたいな顔しつつにじみ出てるのがキモイとか書いちゃったし。好きな人ごめん。
世の中には何かしらのコメント欄とか5ちゃんとかほかにもいろいろ書き込める場所ってあるよね。そしてそういう場所で悪口書いてる人って結構な割合でいると思うんですよ。まあそれには日頃の鬱憤をはらしてるのかなくらいの感じしかないですけど、でも私はツイッターで書いてるんですよ。匿名のSNSだけどそれなりに長い付き合いの人とかもいて、私を個として認識してる人もそこそこいるであろう場所で書いてるんですよ。悪口を。なぜかリスクしかない行為を繰り返している。それってどういう心理なんだろう。
嫌われたくてツイッターやってるわけでは断じてない。むしろできれば好かれたい。可能な限り嫌われたくない。嫌われるのはイヤッ。それなのになぜ悪口を言っちゃうのか。同調して欲しいとか共感して欲しいとかそういうことまで考えてないにしても、それを見た人がどう思うのかってところにすら考えが至らず発言してしまうのはなぜ。後から言うんじゃなかったなって思うこともあるのに、まだ言い続けているのはなぜ。自分の行動が原因で好きな人に嫌われたことも多々あるのに、懲りずに言ってしまうのはなぜ。どうでもいいことならポジティブな内容でも構わないはずなのに、あえて悪口を言うのはなぜか。一体全体なぜなのか。バカだからなのか。そうです。
まあそれはそうなんですが、バカはバカなんですけど、どうしても誰かに構ってほしい究極のバカなんだろうね。悪口を言っている自分まで含めて受け止めて欲しい、認めてほしい、みたいな甘え。バカすぎて書いてて悲しい。
簡単に悪口って言ってしまったけど、何かに対する批判とか、そこまで至らなくても何かしらの意見とかでも、考え方が異なればネガティブな印象になることってあるし、ポジティブな発言っていうのも意識すると意外と難しいかもしれないなとは思います。誰かのポジティブが誰かのネガティブになることもなくはないのかもしれん。なんとなくポジティブな感情はすごい大勢の人と気軽にシェアできるけど、ネガティブな感情はちょっとした秘密を打ち明ける感覚もあったりして、見せ合うことで距離が近づくこともあるてなことがありませんか。価値観をすり合わせる過程においてはそういうのがあったほうが手っ取り早かったりするのもあるかもしれん。ないかもしれん。
でも私のはそういう打算があった上での悪口ではないからね。普通の悪口。ノーマル悪口。単に口が悪い悪口。もう最悪。もう人間やめたい。可愛い子猫になりたい。
別にだからどうっていうわけではないです。別に悪口を言うのをやめますっていうわけでもないし。これからも絶対懲りずに言っちゃうんだろうなと思うし。本当に悪口ばかり言ってすみません。悪口のつもりがなくても悪口に感じた人がいたらすみません。好きな人に嫌われるのは辛い。自分が原因で嫌われたら本当に辛いよ。悪口に限った話ではないけど、何かしら誰かに見える場所で発言するっていうことはそれが自分の責任になるっていうことは意識したほうがいいよね。ボニーピンクのDo You Crash?っていう曲の中に「もしもその人が私の一言によって方向を変えるとしたら私は今までどれだけの人を動かしてきたことになるんだろう」って歌詞があるもんな。ボニーピンクもそんなこと気にするんだから私も気にした方がいいよね。でもボニーピンクは有名人だし一言にも影響力があるだろうけど私はただの一般人だからそんなに気にしなくてもいいかな。ボニーピンクほどは気にしなくていいかな。鬱という静寂と狂気の狭間でとどめを刺されるほどは気にしなくてもいいかな。いや、そんな甘い考えじゃMad AfternoonにNo One Like You状態になっちゃうかもしれないし、昔からSilenceは金っていうし、わざわざ自分の気持ちにLie Lie Lieをつく必要はないにしても、できれば誰かのほほえみの糧になれたほうがいいもんね。気を付けます。
Heaven's Kitchen (BONNIE PINKのアルバム) - Wikipedia

以上、はてなブログ今週のお題「わたしの好きな歌」でした。あばよ!